FILE14
その夜、越前は寝付けなかった。
蒸し暑い気候の中、布団をしっかりと巻きつけて、越前は何度目か知らない寝返りを打った。 大石の出撃に対するショック・・・・・・そして、手塚から知らされた菊丸の死に対する恐怖。
それは、12歳の彼が小さな体で受け止めるにはあまりにも大きな出来事だった。
数日前まで布団を並べていたメンバーたちも、もう今では越前を合わせて4名。
寝付けない越前の頭には、出撃していった河村・桃城・海堂・大石・菊丸の顔が次々と浮かんで消えていった。 浮かんできた顔は、全て笑顔だった。
あんなに、頑張ったのに。 あんなに、努力したというのに。
どうして、神様は生きることすら許してくれない?
越前は理不尽な条理に怒りを覚えた。
ひた向きに生きてきた先輩たち、努力を惜しまなかった先輩達、いつも他人のことばかりを心配していた先輩達。
人が良すぎた。
優しすぎた。
桃城の自転車の後ろに乗せてもらった日。 海堂と些細なことで口喧嘩をした日。 河村の家で、寿司を食べながら騒いだあの日。 大石にシングルスで勝ったあの日。 菊丸にハンバーガーをおごってもらったあの日。
全ては、もう戻らない。
もう、あの日常は二度と戻ってこない―――越前の瞳から、涙が溢れ出た。
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同刻、部屋の片隅で大きな体を小さくして座り込んでいたのは乾貞治。 乾もまた、考え事をしていたが、それは越前とは随分異なるものだった。
今こそ計画を実行すべき時だ。 否、本当はもっと早くできたはずだったんだが・・・・・・
俺は海堂と桃城の死を食い止められなかったことで落ち込みすぎた。 あのときはもっとやるべきことがあることに気づけなかった。
そして、菊丸の死。 俺がもっとしっかりしていれば、あれは止められたはずだった。
「全ては俺の落ち度・・・・・・だな」
乾は静かに呟いた。 四角い眼鏡が、月に照らされて妖しい光を放った。 眼鏡に隠された瞳には、何ともいえない哀愁がこもっていた。
乾は、気になったことは何でも書いていたノートを見返した。 それももう、最後のページまでびっしりと乾の字で埋まってしまっている。
乾は、ノートを閉じると数秒間その表紙を見つめた。
「・・・・・・・・・」
ぼろぼろになったノート。 決して誰にも見せたことはなかったノート。
乾は再びそのノートをぱらぱらとめくると、静かに床に置いた。
「さて、遅すぎる反撃開始といくか」
乾は立ち上がり、部屋を跡にした。 彼の表情は、もう悩んでいなかった。
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それには、誰もが驚いた。 大男でさえも、目を丸くした。
朝の起床の時間、いつものように愛機の点検をする青年達の姿があった。 だが、その朝は少し違った。
青年のうちの一人が小さく叫んだ。 「俺の愛機がない!」
俄かに建物内は騒がしくなった。
何しろ、飛行機が一台盗まれたのだ。 否、飛行機が盗まれた事自体はそれほど痛手ではない。
問題はそれより犯人の動機だった。
飛行機は決して持ち運びできるサイズではない。 ということは、誰かが乗り込んでいった・・・・・・そう考えるのが自然だが、エンジンは片道分。 少量のエンジンでは、海に囲まれたこの島国からは脱走できるはずもない。 脱走したところで戦火に巻き込まれて死んでしまうのがオチだ。
あの飛行機で出来るのは出撃だけ。
だが、一体誰が命令されていない出撃を計画しよう? 地位も名誉も得られないというのに。
誰が率先して命を投げ捨てよう?
犯人の思考が、青年たちには理解できなかった。 だから、建物内はちょっとした騒動になったのだった。
「何かあったんすか」 越前は寝ぼけ眼で近くに居た青年に聞いた。
「あ、いや・・・・・・ちょっと飛行機が一台行方不明で・・・」 「飛行機が・・・・・・?」
「ああ、今捜索中だがこの様子だとたぶん見つからないな」
ドクン
越前は、自分の心臓が大きく跳ね上がったのを感じた。
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よし、これでバッチリだ。 ここまでは計画通り・・・・・・
乾は昨晩とは違うノートを片手に飛行機を操縦していた。 ノートの表紙には【出撃マニュアル】と乾の字で記されている。 乾が開いたノートの紙面には、基本操作が細かく記されていた。
乾にとって飛行機を盗み出すことは容易かった。 今まで飛行機の盗難などなかっただろう、だから乾は誰にも気づかれずに飛行機を盗み出すことができたのだった。
乾は、仲間を奪った奴等をこのままにしておくことはできなかった。
乾が考えた当初の予定では、全員生還できるはずだった。 無事終戦まで生き延びることができるはずだった。
だが、現実は甘くなく、実際は多くの仲間が死んだ。 河村が乾が策を立てる前に予想外に早く出撃し、桃城も海堂も大石も菊丸も助けることができたはずが、みすみす見殺しにしてしまった。
乾は、許せなかった。 自分の愚かさが、そして、仲間達の命を奪った奴が。 仲間たちを殺したアメリカ軍に、復讐してやると誓った。
復讐のためには出撃のチャンスがいる、乾は待ちきれなかった。 戦争終結まであと10日、果たしてもう一度出撃があるのだろうか・・・・・・乾はそれを恐れていた。
だが実際何よりも乾が恐れていたのは青学メンバーに作戦を気づかれやしないか、止められやしないかということだった。 彼等もまた、自分と同じように仲間を失くして苦しんでいる。 乾が出撃しようとしていると知れば、絶対に止めるだろう。
だから乾は、強引なやり方でこっそりと出撃することを決めた。 今から思えばこのやり方は中々いい方法だったのかもしれない。 自分が起こした事件で、飛行機の補充等に時間がかかり、次の出撃が少なくとも1週間は見送られるはずだ。
あともう一週間で戦争は終結するんだ・・・・・・乾は哀しい笑みを浮かべた。
先日広島と長崎で原爆があったと耳にした。 最初の乾の予想は外れ、青学メンバーはその情報に大した反応を示すことはなかった。 もう赤の他人の死を悲しむ余裕もないのだろう・・・・・・それは乾も同じだったが。
とにかく、自分の死によって残りの仲間が救えるなら乾は本望だった。 今はせめて、守れる命を守りたかった。 サヨナラを言えないのは悔しいことだが、仲間を失いたくないのは乾もまた同じだった。
「角度は23度・・・」 乾の操縦する飛行機はどんどん高度を上げていた。
それもそのはず、乾が目指しているのはアメリカ軍の船ではなかった。 乾は、おそらく自分たちに向けて上空から攻撃してくるであろう飛行機に衝突しようと計画していた。
「俺が復讐すべきは」 乾は小さく呟いた。
「アメリカ軍じゃない。大石や海堂の命を奪った張本人達だ。」
もうどうせ日本軍を抜け出したんだ。 あいつ等の言う通りに出撃する必要なんて何も無い。 日本の勝利など、どうでもいい。 否・・・・・・・・・どうせ日本は負けるんだったな。
乾は、米軍の飛行機の一台に追突し、操縦している相手と一緒に死ぬつもりだった。 成功する確信は、十分にあった。
乾の視界にちらほらと動く飛行機が入った。 (米軍だ!) 瞬間乾は飛行機の高度・速度を更に上げた。
もう、乾を止めることができる人は誰もいない。
乾の飛行機は、アメリカ軍の飛行機に向かって一気に上昇した。
最後の上昇、それは数秒間の出来事だったが、乾にとっては時間の流れが止まったように思えた。 重い機体、そして沈む気持ちが飛行機に近づくにつれ大きくなっていく。
ハンドルを握る手がはっきりと震えている。
(・・・・・・・・・ああ、やっぱり。)
や っ ぱ り 俺 は 死 に た く な か っ た ん だ 。
乾は、もう戻れないと知りながらそんなことを考えた。
綺麗事・データ上の計算が、あくまで参考であり自分が体験するものと異なるということは乾も今までの経験上理解していたはずだった。 だが。 実際に、死を間際にするとこんなにも逃げだしたくなっている自分がいる。
乾の脳裏に、青学メンバーたちの笑顔・そして楽しかった日々がよぎった。
「・・・・・・本当に、理屈じゃない」
もう、米軍の飛行機は間近に迫っていた。
乾は顔を上げ、飛行機のガラス越しに、今から自分がぶつかるであろう・自分と一緒に死ぬであろう相手の顔を見た。
「!」
瞬間、乾は泣きそうになった。 あらゆる感情があふれ出しそうだったが、乾には涙を拭う暇もなければ、ハンドルを切って乾と「彼」が衝突し死ぬことを避ける方法も見つけられなかった。
「お・・・・・・おとり・・・」
最後の驚愕した表情で言った乾のつぶやきは、夏の風に揺られて消えた。 その僅か数秒後。
「彼」と乾の操縦する飛行機は、追突した。
全てを犠牲にしても 守りたいものがあった だけどその代償は 決して一人で払いきれるものではなかった
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