FILE10
それは、河村の出撃後、建物に帰ってきたばかりのときのことだった。
桃城は怒りと哀しみを抑えきれないらしく、ジャージの裾をしっかりと握り締めていた。 建物に着くと、桃城は頭を冷やすべく井戸へと向かった。
全員が建物の中に入り、井戸には誰もいないはずだった。 だが、桃城はそこでいるはずのない人物を目撃してしまった。
「忍足さん・・・・・・?」
そこに立っていた人物は、長い青みがかった髪をなびかせ振り向いた。 丸眼鏡、そして、あの微笑。 見間違えるはずがなかった。
それは氷帝学園の忍足侑士だった。 忍足は桃城の姿を見止めると、目を丸く見開いた。
「桃城・・・?お前、何でこんなトコにおるんや」 「忍足さんこそ、どうして」
驚くのも不思議はない。 ここは現実世界ですらない、過去だから忍足も桃城も状況を把握できなかった。
しばらくの不思議な沈黙が流れたがこの場合自分から説明したほうがいいと判断したらしく、桃城が口を開いた。
「俺・・・俺だけじゃなくて、部長とか先輩全員なんすけど。何故かこの時代に来ちゃったみたいで・・・・・・その、特攻隊にされちゃったんです。」 「・・・全員?特攻隊て・・・・・・あの飛行機で突進する奴らか?」 「はい・・・・・・それで、タカさんが、もう・・・」 「河村が?」 「今日、出撃しました」
桃城は、そう言うと唇を噛みしめた。 そうでもしないと、あの光景が浮かんで、涙が溢れてきそうだった。
忍足は、少し顔を歪めたが何も言わなかった。
沈黙がしばらく続いた。 だから、隣りにある部屋の声が少し漏れていること、そして、その内容に二人は気がついてしまった。
「ああ、それとな」 「・・・・・・何でしょう」
「オッサンと・・・・・・部長?」
桃城が思わず声に出したのを忍足が制し、二人は耳をそばだてた。 忍足は、自分の指を口に持っていったまま、片方の手では桃城の口を押さえていた。
「次の出撃予定者に、海堂薫、桃城武が入った。あいつ等はまだ若いから、パワーに期待していると伝えてくれ。」 「・・・・・・・・・!!!!」 「出撃の日付はまだ決まっていないが、近いうちだろう」 「・・・・・・失礼します」
手塚が出て行く気配を見送ると、忍足は桃城の口から手を離した。 桃城は少し酸欠になっていたのか、空気を思い切り吸い込み、咳き込んだ。
「ゲホッゲホッ・・・忍足さ 「桃城。今の、聞いたか?」
しばらく咳き込んで呼吸を整えた桃城は真顔になって言った。
「・・・・・・当たり前じゃないすか。」 「どないするんや」 忍足は険しい表情を崩そうとはしない。 その表情は、桃城がかつて試合で見たものに近い雰囲気だった。
「・・・・・・・・・俺は・・・」 「出撃は無駄死にだ。やめとけ。」
桃城が忍足の迫力に少し後ずさったとき、そこに海堂薫が現れた。 海堂もまた、手塚と大男の話を聞いたのか、忍足と桃城とのやり取りから推測したのか、自分たちが次の犠牲者だということを理解したようだった。
「!?マムシ・・・・・・お前も聞いてたのか・・・?」 海堂は桃城の驚いた顔を一瞥したが、質問には答えずそのまま続けた。
「出撃すれば・・・・・・ほぼ確実に死ぬ。それに、相手にも全くダメージを与えられないことが多い。相手の船に近づく前に、飛行機から打ち落とされるんだ」 海堂は淡々とした口調で言った。
「・・・・・・?じゃあタカさんは!」 「ああ・・・・・・きっともう・・・」
海堂はそこで顔を伏せた。 桃城もそれ以上海堂に詰め寄ろうとはしなかった。 しばらくの沈黙が流れた。
「桃城海堂。自分ら、ここで出撃せんかったらどうなるかわかっとるんか?」 沈黙を破ったのは忍足だった。
海堂は忍足の存在を今やっと思い出したようで、目を見開いた。
忍足の口調は、全くもって冷静で―――尤も、忍足は青学の生徒ではなければ、河村の死を目の前にしたこともなく、身の危険もないとあれば当たり前のことなのかもしれないが―――二人の癪に障った。
「・・・・・・アンタには関係ない。」 「・・・・・・忍足さん。俺たちに出撃を勧めるつもりですか?」
桃城と海堂の視線が一気に忍足に突き刺さると、忍足は困ったような笑みを浮かべた。 しかし次の瞬間また険しい顔に一転した。
「俺はジブンらに出撃勧めてるわけやない。せやけど、ジブンらが出撃せんかったら一体誰が出撃する?考えてみ。それから出した答えやったら俺は何も言わん。」
「「!」」
「終戦まであと15日かそこらや。せやけど、それまで全員が逃げ切れる可能性は・・・・・・ない。それだけは理解しとき」 忍足はそう言うと、立ち上がった。 反射的に桃城が尋ねた。
「どこ行くんすか?」 「しばらくはこの建物の裏あたりにでも居とくわ。他のメンバーに俺のことは言わんといてや、絶対混乱すると思うしな。」
桃城はまだまだ忍足に質問したいことがたくさんあった。 忍足はまるで何もかも見透かしているかのような口調で、謎がたくさんあった。 忍足が知っていること全てを話してくれればきっと少しはすっきりするだろう、そう思ったからだ。
だが、忍足は早口で返答すると、もうこれ以上は勘弁、とでも言うように立ち去った。
桃城はその後姿からしばらく目を離すことができなかった。
「ふしゅー・・・・・・桃城。もう行くぞ」 「あ?行くって・・・どこに?」 「ちょっと・・・考えてくる。お前も、一人で考えた方がいい。また後で、じゃあな」 「あっおいマムシ・・・
海堂はそれだけ言うとジャージのポケットに手を突っ込んで行ってしまった。 ぶっきらぼうな口調だったが、海堂の気持ちが揺れていることに桃城は気づいた。
海堂は、出撃には絶対に反対、その意見は変わらないだろう。 しかし、仲間の命と自分ひとりの命、天秤にかけたらアイツはどう判断するだろう・・・? 桃城には海堂の答えはわからなかった。
だが、自分自身の答えはどうだろう? 自分の命と仲間の命・・・・・・桃城はそう考えたとき、仲良くしていた越前の姿、一緒につるんだ菊丸の笑顔、そして仏頂面だが頼りになった手塚の声・・・・・・仲間たちの姿が頭に浮かんだ。
・・・・・・答えなんて、決まっている。
桃城は皆が待つ部屋へと向かった。
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何故アンタはそんな表情をする? 海堂は思った。
よく考えた結果、桃城と同じ経緯に辿りつき、出撃する覚悟を海堂は固めた。 だが、その言葉をいざ全員の前で言ったとき、場の空気・・・・・・いや、乾の表情が凍りついたのを海堂は確かに感じた。
乾のこのような姿は海堂は初めて目にした。
海堂にとって乾という人物は、常に冷静沈着で、物事を客観的に見て判断し、決して取り乱したりしない人物だった。 それが、自分のこんな言葉で取り乱した様子を見せているのだから驚きだ。
「出撃する」 言ってから、もう戻れないんだ、と海堂は思った。 それはきっと桃城も同じ気持ちなんだろう。
だから乾の言葉には少し海堂の気持ちが揺れた。 成功率6パーセント以下という具体的な数字には少し焦りを感じたし、あの冷静な乾があれほどに取り乱すのだ、迷いが出ないはずはなかった。
この選択は本当に正しかったのだろうか、そう思った。
だが、口から出た言葉はもう元になんて戻せない。 否、戻したくもない。
俺たちが戻りたかったのは、ただ元の世界、元の暮らし。 それが戻れない今、俺たちは進むしかない。 この場合、自分の命をせめて、仲間の命のために。
汗ばんだ手のひらを握り締め、海堂はそのときそう思った。
僕等が戻りたかったのはただの日常 当たり前で普通の生活 それ以外のモノなんて 今なら何もイラナイのに
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