代わり

 

 

 

春の日差しももう終り、夏の厳しい日差しが差しこみ柔らかな風が吹く。

 

ドアを開けると病室に風が吹き込む。

風は、俺の頬を撫であの人の髪を揺らす。

 

もう1年近くもベッドに寝たきりのあの人。

 

 

「向日先輩」

 

 

じっと窓の外を見つめていたのであろう向日先輩は、俺が声を掛けるとゆっくりと振り向いた。

ただ、その頬は以前のような血色のよい頬ではなく、痩せこけた青白い頬。

 

 

 

「おー日吉、毎日来なくてもいいっつってんじゃん」

先輩は痩せた顔で笑った。

 

 

「べつに、いいんですよ」

俺はいいながら持ってきた花を花瓶に差す。

 

 

机にはいつものごとく、見舞いの菓子や果物など一つもない。

向日先輩の病室には、友達はおろか先輩の家族だって滅多に来やしない。

 

・・・まあ、BR優勝者には当然の報いなのかもしれないが。

 

 

この病室も政府の金で取られている。

 

 

 

見舞い以外の用事でならたくさん人が来た。

 

大半が、先輩と同じプログラムに参加した生徒の親。

何も先輩が全員を手にかけたわけではない、けれど、憎むべき対象、憎める対象がいるとすればそれは紛れもなく先輩だ。

 

 

先輩もそれを理解しているらしく、浴びせられる罵倒や暴力に文句一つ言わず耐えていた。

だが、それも2ヶ月もすれば次第におさまり、向日先輩の病室は水をうったように静まり返った。

 

 

 

 

「なー日吉」

「なんですか」

 

向日先輩はまた窓の外を見つめていた。

その後姿は小さくて、ワインレッドの髪が光で反射して、とても綺麗だった。

 

 

「もう夏なんだな」

 

「そうですけど・・・・どうかしたんですか?」

口元に自然に微笑が浮かぶ。

あまりに先輩らしくない科白だったから。

 

 

 

 

「・・・・もうあれから、1年も経つんだなと思って」

 

「・・・・・」

 

向日先輩の表情は見えなかったけれど、大体想像はついた。

だから、俺は何も言葉をかけられなかった。

 

 

 

「秋が来て、冬が来て、春ももう終わる。俺もしつこく生き延びたもんだぜ、ホント」

 

 

 

「・・・まだ、退院しないんですか」

 

「あー考えてねえ、ここでの生活満足してるしな」

 

言った先輩の背中はすごく痩せこけていて、もう1年も経ち怪我も完治したはずなのに未だに弱弱しいままだった

 

 

 

 

「先輩。まだ、生きてくださいよ」

ボソッと俺が呟くと、先輩はあははっと笑った。

 

 

「よくゆーぜ、最初『殺してやる!』って俺の病室来たくせに」

 

 

 

「考え方を変えたんです。貴方には跡部部長や忍足先輩の分まで生き延びてもらう、と」

 

「ふーん」

先輩はそれっきり黙り込んでしまった

 

 

 

 

 

 

あれから、もう1年。

向日先輩がBR優勝者として血まみれで帰ってきてから。

 

 

先輩達レギュラーがBR法に選ばれたと知って俺は頭を何か重いもので殴られたような衝撃を受けた。

 

 

そして、浮かんだのが跡部部長。

 

あの人にまだ下克上をしていない。

あの人を倒さない限り、俺のテニスは成長しない。

跡部部長が人を殺すことは望んでいなかったけれど、それでも俺は跡部部長の存在を必要としていた。

 

 

だから、帰ってきたのが向日先輩だと知って俺は驚いた。

 

 

向日先輩は即、病院に担ぎ込まれた。

酷い出血、怪我を負っていたらしい。

幸い一命は取りとめたらしいが、最低3ヶ月の入院を強いられた。

 

 

 

それから、俺の生活に刺激がなくなった。

 

下克上すべき相手もいない、凌ぎを削った友、鳳もいない、いっそ俺もBRに選ばれたかった、そう思っていた。

 

 

 

そして、向日先輩に怒りの対象は変わっていった。

 

 

「殺してやる!」

 

 

向日先輩の病室に乗り込んだとき、言った科白だ。

 

そのとき向日先輩は、窓の外を見つめていた。

すぐに病院関係者が俺を止めに来たが、先輩はそいつらを制すと振り返った。

 

 

その顔を見た俺は思わず息を呑んだ。

 

目は落ち窪み、頬はこけ、唇に色味なんて全くない。

まるでホラー映画にそのまま出れそうな顔だった。

 

 

 

「日吉・・・・か。いいぜ殺れよ」

 

「・・・・」

 

俺は持っているナイフを強く握りなおした。

あまりにあっさりと言うものだから少し動揺したが、ハッタリかもしれない、と思った。

 

 

 

「早くしろよ。跡部を、あいつ等を殺したも同然の俺を殺して下克上しちまえよ」

 

 

必死の瞳を見て思った。

この人は本気で俺を挑発している

早く殺せ、と

 

 

 

 

それが解るとなんだかばかばかしくなった。

 

異常なまでに下克上に執着していたこと

先輩がいなくなったことで自分を見失っていたこと

 

 

そして理解した。

 

もうこの人を殺しても誰一人戻ってこないということ

むしろ先輩たちが存在したという証がなくなってしまうということ

 

 

 


向日先輩を見るとまだ挑発するような笑みを浮かべていた

 

その口元はどことなく跡部部長の笑みに似ていた

そしてその瞳は忍足先輩のソレとよく似た輝きを放っていた


俺は、向日先輩の中に鳳や宍戸先輩、ジロー先輩、樺地の姿を見つけた

 

 

そして俺は理解した

 

 

俺が今、下克上すべき相手は、この先輩の中にいる

そしてその方法はあくまでテニスであってこの先輩を殺すことではない

 

 

俺の手からナイフが落ちた。

政府のやつらがすかさずナイフを拾う。

 

 

向日先輩は大きな瞳を見開いて俺を見つめていた。

 

 

「俺は、アンタに下克上する。テニスでだ」


すると向日先輩は微笑を浮かべ言った。

 

 

「楽しみにしてるぜ」

 

 

 

俺はそれからずっと向日先輩の病室に通い詰めている。

といっても特にすることもなくただ顔を見るだけだ。

 

俺の望みは早く向日先輩が回復して、テニスで試合をすること。

その一心で通いつめていた。

 

 

 

 

「俺の下克上のためにも、早く体力つけてください」

 

「そうだな」

向日先輩は俺を振り返ると笑った。

 

 

先輩が笑うとすごく危なっかしい

細い肋骨なんてもう今にも折れてしまいそうだ

 

 

でも 先輩は近頃昔の笑い方を思い出したみたいだ。

先輩がよく浮かべていた、あの向日葵のような笑顔。

 

その、笑顔を今先輩は浮かべていた。

 

先輩は紛れもなく笑っていたんだ。

 

 

 

笑っていた。

 

 

 

笑っていた の に  。

 

 

 

 

 

 

 

次の日、いつものようにノックもせず病室のドアを開けるとそこはもぬけの殻だった。

 

 

 

「先輩・・・・・?」

 

電気はつきっぱなし、窓も開けたまま、いつもと何の変わりもなかった。

だが、そこには向日先輩がいなかった。

 

 

 

俺はたまたま廊下を通った看護婦に問い詰めた。

 

「おい!ここに向日岳人っていう奴が入院していただろ!」

 

看護婦は俺の気迫に驚きつつも、白々しくもこう答えた。

「いいえ、そのような方が入院していたという記録はありませんが」

 

 

「嘘だ・・・・」

「いいえ」

 

「嘘だろ」

「いいえ」

 

 

「嘘に決まっている!だって俺は昨日まで・・・・」

何故か涙がこみ上げてくる

最後の方は言葉にならなかった。

 

 

看護婦は俺の様子に表情を曇らせると小声で言った。

「テレビを見てみてはいかがですか」

 

 

看護婦は仕事があるので失礼します、と言い残し立ち去った。

 

 

 

俺は向日先輩の病室に戻った。

 

テレビのリモコンを取り、スイッチを入れる。

途端に物凄い喧騒・雑音。

レポーターも興奮していて最早番組になっていない。

チャンネルを変えたが、どのチャンネルも同じような状態だった。

 

 

どうしてこんなに騒がしいのか。

決まっている。

忘れていたが、夏といえばまたプログラムが開催される。

おおよそ参加者が決まったから興奮しているのだろう。

 

 

だが、どうして看護婦はテレビをつけろだなんて言ったんだ?

今更BR法のニュースなんて見たってなんとも…

 

 

見つめていた画面に、見慣れた顔が映った。

そして見出しには『前代未聞!BR2度目の参加向日岳人に密着取材!』

 

 

レポーターがまるで食べ物に群がる虫のようにマイクを向ける。

 

「どうして、2回も参加しようと思ったのですか?」

「1回目の優勝は偶然であり、俺自身の勝利ではないと思ったからです。」

 

質問に答える向日先輩は、貼り付けたような笑みを浮かべていた。

 

 

 

「今回入院期間が長かったとお聞きしましたが、怪我のほうは大丈夫なのですか?」

「ええ、完治しています。だから期待しておいてください」

 

 

 

吐き気がした

 

どうしてこの人は

こんな嘘を吐くんだろう

 

どうしてあれだけ憎んでいたBR法に進んで参加するのだろう

 

 

 

 

俺はテレビを切った。

もう何もかもがいやだった。

 

 

 

 

 

家に帰ると俺宛に一通の手紙が来ていた。

裏を返すと『BR法推進委員会』のハンコ。

 

 

 

驚きながらも封を開けるとそこにはワープロ文字のシンプルな文面が記されていた。

 

 

 

『拝啓 日吉若様

 この度は、第15回プログラムに貴方が選ばれたという通知をさせていただきましたが、誤りであったことを深くお詫び申し上げます』

 

 

 

 

・・・・なんだこれは

 

俺は急いでテレビをつけた。

まだインタビューは終わっていなかった。

 

 

 

 

「このニュースを見ている方に何か伝えることはありますか?」

「んーそうですね、『新しい目標を見つけて下克上しろよ』」

 

 

「・・・・・?今のは誰へのメッセージですか?」

「まあ、気にしないでください」

 

 

 

 

俺は手紙を握りつぶした。

涙が手紙にポツポツ落ちて、『BR推進委員会』のハンコが滲んだ。

 

 

 

「何・・・・やってるんですか」

 

 

テレビの中ではインタビューを終えた先輩が政府の車に乗り込み、プログラム会場へ向かうところだった。

 

 

 

 

「俺なんかの身代わりになったって・・!」

 

頭の中では、向日先輩の最後のメッセージがずっと鳴り響いていた。

 

 

 

 

 

俺はこのとき心底プログラムを憎んだ。

 

そして プログラムをいつか壊してやる、と記憶の中の先輩の向日葵のような笑顔に誓った。

 

 

 

 

 

〜END〜

 

 

 

心愛さんに相互記念に捧げます。

岳人がらみ、とのリクエストでした。

こんなのでいいのやら・・・・(滝汗)

またこの後の岳人・日吉も書いてみたい、と思っています。

こんな小説でよろしければ心愛さん、お持ち帰りくださいませ。

 

心愛さん、相互ありがとうございました!!

 

 

 

 

 

 

 

 

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