恋。

 

 

 

「あーーー降ってきやがった」

 

午前はあんなに晴れ渡った空だったのに、向日岳人は気分屋な空を恨めしく見上げた。

 

 

 

 

「どーすっかな・・・ったく、何でよりによって今日なんだよ」

 

岳人は悪態をつきながら下駄箱からシューズを取り出した。

はき慣れたシューズが、僅かに湿り気を帯びていた。

 

 

 

 

「あー・・・マジで降ってるよこれ」

 

昇降口に出た岳人は、一向に止みそうにない雨を見てため息をついた。

一瞬雨が止むまでココで待つことも頭によぎらないことはなかったが、雨は止む気配も見せなかったしむしろもっと強くなってきそうだった。

 

 

 

「・・・・走るか」

 

となると、岳人は走るしかなかった。

靴紐を結びなおし、鞄を頭に載せ走り出そうとしたとき、突如岳人のことを呼び止めた人物がいた。

 

 

 

 

「向日先輩」

「?」

 

「奇遇ですね、今帰りですか?」

 

 

「・・・・日吉じゃん」

 

 

岳人を呼び止めたのは同じテニス部で2年の日吉若だった。

日吉はその綺麗に切りそろえた前髪の下から岳人を見据えていた。

 

 

 

岳人にとって日吉は不思議な後輩だった。

 

風貌やプレースタイルもかなり変わっているが、何より性格だ。

岳人と正反対な性格だったが、どこか自分と日吉は似た波長があると岳人は感じていた。

だから、岳人は性格が悪いと言われている日吉に対して悪い感情は抱いていなかった。

むしろヘラヘラ笑っている同じ2年生の長太郎の方が自分とは合わない性格だと思っていた。

 

 

 

 

「何、してるんですか」

 

日吉は薄い唇を片方上げて微笑を浮かべた。

相変わらず不気味な笑い方しやがる、と心の中で思いながらも岳人は日吉に空いた両手を見せた。

 

 

 

「見りゃわかんだろ、カサがねーんだよ」

 

「傘・・・・」

「そ、傘。」

 

「・・・・・・俺、傘持ってますよ」

「えっ、マジ!?」

 

 

そういって日吉が見せたのは1つの傘。

 

 

 

 

「・・・バーカ!1コじゃ意味ねぇじゃん。日吉、家逆方向だろ?」

「・・・・・」

「俺、走って帰るから、さ。」

「べつに・・・・」

「?」

「いいですよ、寄り道くらい。」

「・・・・」

 

 

岳人は驚いた。

日吉がこんなに優しさを表現したことがあっただろうか。

 

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「いいですよ。寄り道くらい」

 

 

言ってから、自分で驚いた。

こんなにも素直に、自分の気持ちを表せたのは何年ぶりだろう。

不思議な力があった、この雨の日には。

 

 

 

 

 

俺は、この先輩のことが嫌いだった。

 

気持ち悪いほどに綺麗に揃った髪形も、妙に自信に満ち溢れているところも、大きな一重のどんぐり目も。

おせっかいで後先を考えない単純な性格も、気に食わなかった。

何よりダブルス専門プレーヤー。

だから、俺はこの先輩を馬鹿にしていた。

 

 

 

 

俺がこの先輩に特別な感情を抱くきっかけになった出来事は、雨の日に起こった。

 

 

その日俺は鍵当番だった。

部活が終わり、部室の鍵を閉めた頃はもう太陽は沈んで校内には誰もいないようだった。

幸いその日は古武術の稽古も休みだったから俺はテニスコートの方から遠回りをして帰ることにした。

 

 

(今日は雨でミーティングだったから、コートを見ていないしな)

 

そんなことを考えつつ、ビニール傘を差して歩いた。

ザーザーと雨の止む気配はなかった。

俺が透明なビニールの傘越しに空を仰いだその時だった。

 

 

 

 

パコン パコン

 

 

 

 

「テニスボールの・・・音?」

 

俺が通り過ぎるはずだったテニスコートから音がする。

土砂降りのテニスコートで、一体誰がテニスなどしているのだろうか。

気になって俺は、傘と鞄をその場に放り出してテニスコートのフェンスを乗り越えた。

 

 

そこに居た人物に、俺は驚いた。

 

 

 

 

「ハァ・・・ハァ・・・っ・・・ダメだ・・・・っ・・・・こんなんじゃ・・・・・足りねぇっ」

 

 

 

そこで土砂降りの雨を受けてひたすらテニスボールと格闘していたのは、向日先輩だった。

 

先輩は俺がコートに入ってきたことに気づく気配もなく、泥まみれで跳んで、ボールを打っていた。

何度もぬかるんだ地面に足を取られて転んで、足からは血が流れ出ていたけれど、先輩は決してやめることはなかった。

 

 

痛々しい光景だった。

先輩の表情、雰囲気が普段見せるものと全く異質のものを放っていた。

俺は、先輩に近寄ることも声を掛けることもできず、ただ黙ってその様子を見つめていた。

 

 

 

「俺のせいで負けんのは・・・・・もう嫌だっ・・・・・!」

 

 

のたうち回る先輩は、何もかも投げ捨てているようだった。

 

 

 

「時間がねぇっ・・・時間がねぇんだ・・」

 

 

 

 

カシャン

 

 

 

「っ!?誰だ!?」

俺が気づかないうちに触れてしまったフェンスの音に、先輩は飛び上がってこちらを見た。

 

 

 

「・・・・何だ・・・日吉か。」

 

 

俺の姿を確認すると、先輩はほっとため息をついた。

そして、どこか決まり悪そうに自分の飛ばしたボールを拾い始めた。

 

 

俺は、その様子を黙って見ていた。

 

どのくらい、ここでテニスをしていたんだろう、先輩は背中も、肩も、顔も足も腕も泥だらけだった。

華奢な足に刻まれた新しい傷跡を見て、俺は思わず目を伏せた。

 

 

先輩は、ボールを拾い終えると、テニスバッグにラケットを仕舞った。

 

そしてテニスバッグを背負うと、俺の方へ向かってきた。

俺は一瞬何故先輩が此方へくるのか解らなかった。

が、先輩の視線の先を辿ると俺の後ろの出口を見据えていたから、俺は出口から一歩はなれた。

 

 

 

「悪ぃな」

すれ違い様に、先輩がぼそりと呟いた。

 

「?」

「・・・や、何でもね。気にすんな。」

 

 

そういった先輩の顔を、俺は横目でしか確認することができなかったけれどその表情は今でもはっきりと思い出せる。

 

びしょぬれだった。

雨の所為か、汗か、傷口から流れる血か、それとも涙か。

それは解らなかったけれど俺はその表情を見たとき胸の中で何かがコトリと動いたような気がした。

 

俺はその表情を見た瞬間、先輩を無性に引き止めたくて、言った。

 

 

 

「何か、あったんですか。」

 

 

 

「・・・・日吉、俺さ。」

 

先輩は一瞬躊躇したが、口を開いた。

 

 

 

 

「              」

 

ザーーーーーーー

 

 

降り続く雨の音で、俺は先輩の言葉を聞き取ることができなかった。

 

 

「・・・・え?」

 

「・・・や、聞こえなかったなら、いい」

 

 

先輩は、そのままコートを出て行った。

俺も呼び止めることはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

今、俺達は二人で一つの傘に入っている。

先輩が小柄だからか不思議と狭い気はしない。

 

俺達は会話少なに歩いていた。

先輩は、どこか物思いにふけっているような横顔を俺に見せていた。

 

 

 

 

 

 

「あの日も・・・・雨の日だったよな」

 

突如先輩がボソッとつぶやいた。

 

 

「・・・・・ハイ。」

俺は、今自分が思い出していたことを先輩も思い出していたんだなと思うと何だかくすぐったい気持ちになった。

 

 

 

「あんな・・格好悪ぃトコ見しちまって、悪かったな」

 

「・・今日はやけに謙虚ですね、先輩。」

「・・んだよ!人がせっかく謝ってんのに、くそくそ日吉め!」

 

 

俺はクスリと笑った。

 

この不思議な空間が、たまらなく愛しかった。

いつまでもこの時間が続けばいいのに・・・・そう思った。

 

 

 

「なあ・・・・日吉。」

「何ですか?」

 

 

「あの時、俺が言った言葉、聞きたいか?」

「・・・・・?」

「お前が聞き返した言葉だよ」

 

 

 

「・・・・・・・・・はい」

 

俺があの雨の日、聞き逃してしまった言葉。

あの言葉は何だったのだろう、気になってあの日は眠れなかった。

 

あの言葉を知りたい。

 

 

 

「・・そっか。じゃ、教えてやる。一回しか言わない。」

 

 

雨は、更に酷くなっていた。

先輩は、一呼吸おいた。

 

 

 

ザーーーーーー

 

 

 

              

 

 

 

ザーーーーーー

 

 

 

「・・・・・え?」

 

 

 

 

俺から出た声は、聞き取れなくて出した声ではなかった。

 

 

信じられない、その事実を認めたくないという心の気持ちを表すかすれた声。

もちろんそんな声は、雨の音にかき消され、先輩には届かなかったのだろうけれど。

 

 

 

「俺、今日で氷帝をやめるんだ。」

 

 

 

頭の中で、その響きがぐるぐる回る。

 

 

やめる?

 

氷帝を?

 

どういうことだ?

 

 

 

 

 

明日から先輩は―――――

 

 

い  な  く  な    る    ?

 

 

 

そんな、じゃあ、あの時言おうとしていた言葉は。

 

俺が聞き取れなかった言葉は。

 

 

 

 

 

今になってまざまざと思い出す。

 

あの時、先輩の口の形は、まぎれもなく告げていた。

 

 

 

「氷帝をやめることになったんだ」

 

 

 

 

どうして俺は聞き取れなかった?

 

 

どうして、

 

どうして、

 

 

どうして

 

 

 

貴方はあんなにも早くに俺にチャンスを与えていたというのに

 

 

 

 

 

先輩は混乱した俺を数秒間見つめると、その小さな体を翻し雨の中へと出て行った。

 

 

「待ってくれ!」

 

 

 

俺の叫びに、先輩はぴくりと足を止めた。

 

反射的に出たものだった、生まれて一番の大声を出した。

 

だけど俺は今の叫びで全ての力を出し尽くしてしまったかのように、先輩を引き止めることはおろか、次の言葉すら言えなかった。

 

 

言うべき言葉はたくさんあった。

 

なのに、俺は、雨の中で動けずに居た。

足が、何故か震えていた。

 

 

 

 

先輩は、俺には背を向けたままで、言った。

 

「日吉。未練がましいのはキライだろ?・・・俺もお前も。」

 

 

 

その言葉の持つ響きは、俺の胸に真っ直ぐに突き刺さった。

 

胸が痛くて仕方がなかった。

 

 

 

先輩はそのまま俺から遠ざかっていく。

 

小さな体が、俺を置いて消えていく。

 

 

 

 

ザーーーー

 

 

 

俺は、追いかけることもできずその場に立ち尽くしていた。

 

 

 

先輩は数メートル離れたところで、突如足を止めた。

 

俺は、先輩をこれでもかというほどに凝視していた。

 

 

 

 

ザァーーーーー

 

 

 

「    」

 

 

 

ザーーーー

 

 

 

その言葉が、雨の音に消されていたら、俺は泣かずに済んだかもしれないのに。

 

 

俺は、解ってしまった。

先輩が今どんな表情をしているかが。

 

先輩はきっとあの時と同じ表情をしているんだ・・・・俺の心を引きつけたあの表情を。

 

 

 

 

 

「ごめんな」

 

 

 

その言葉には、嫌というほど先輩の気持ちが詰め込まれていて。

 

 

俺は、自分の目から涙が溢れ出したのがわかった。

 

そして、雨の中、傘も放り出して地面に座り込んだ。

 

 

 

 

「謝らないで・・・・くださいっ・・・」

 

 

 

俺はまだどこかで信じきれていなかったんだ

 

 

先輩がどこかへ行ってしまうなんて

 

だけど 

 

普段絶対に謝らない先輩が 

 

 

「ごめん」なんて

 

 

 

 

 

 

「俺は・・・・信じるしかないじゃないですか・・・・・!先輩!」

 

 

 

ザーーー

 

 

 

俺のその言葉が、先輩に届いたのかは解らない。

 

 

 

先輩は、歩き出した。

今度こそ、足を止めることなく。

 

 

 

ザァーーーー

 

 

 

俺は、傘も差さず離れていく先輩の背中を見送ることしかできなかった。

 

 

 

 

 

〜END〜

 

 

 

 

 

紀遊女さん、7777Hitありがとうございました!!

3ヶ月以上お待たせしてしまい、申し訳ありません(土下座)

「日岳悲恋」というリクで、岳人が学校をやめるという設定で書かせて頂きました。

淡い感じの恋、を書きたかったんです。

一応岳人も日吉に恋愛感情を抱いていることは確かです・・その辺のニュアンスが微妙ですが、伝わっていると嬉しいです。

とにかく、書いている本人は物凄く楽しんでいましたので、そのうきうき(!?)が伝わるといいなと思います。

ではここまで読んでくださった方、そして紀遊女さん、ありがとうございました!!

 

 

 

 

 

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